差別の木を切り、人権尊重の木を育てましょう
平成26年12月13日
御船町立七滝中央小学校


 皆さんこんにちは。
 先日の御船版コミュニティ・スクールの研究発表会は、とてもすばらしい発表会でした。とても寒かったのですが、子どもたち、地域の方々、先生方が一体となった学習の様子を見て心が温かくなりました。
 本日も発表会の日と同じようにとても寒いですが、やはり心は温かくなっています。講演会や研修会では、後ろの方から座り、前の方は空いている場合が多いのですが、本日の研修会では、誰言うとなく前の方から座っていただきました。私は、若い頃プロレスが好きでよく見に行っていました。高いお金を出してリングサイドで見ていました。迫力が違います。七滝小学校に勤務しているとき、職員旅行で宝塚を観劇しました。一番後ろの席でした。係の先生に、「前の方は取れなかったな?」と尋ねると、とても人気のある公演なので前の方から座席は売れるので後ろしか空いていなかったというのです。人は興味関心があるものは高いお金を出してでも前にいって、見たり聞いたりします。人権学習も本日のように積極的に前の方から座っていただくといいですね。皆さんの研修に向けての熱意で心が温かくなりました。
 私は、長く教員だったものですからここ(壇上)で話をするのは苦手です。皆さんの近くに行って話をします。前の座席の人は、唾が飛ぶかも知れません。そのときは、ご容赦ください。
 早速ですが、ごうだなおと君の「うそ」を読んでみましょう。 


           うそ  
       
                  ごうだ なおと

   ぼくはがっこうをやすみました
   おかあさんにうそをついたからです
   なんのうそかというといえません
   おかあさんをなかしてしまいました
   ぼくもなきました
   おかあさんは
   こんなおもいやりのない子とはおもわんかった
   こんなくやしいおもいをしたのは
   はじめてやといいました
   ぼくはあほでまぬけで
   ばかなことをしたとおもった
   ぼくもかなしくてこころがいたい
   それでもおかあさんは
   なおちゃんのことがだれよりもすきやでと
   だきしめてくれました
   もうにどとしません


 なおと君は、「ぼくもかなしくてこころがいたい それでもおかあさんは なおちゃんのことがだれよりもすきやでと だきしめてくれました もうにどとしません」と綴っています。お母さんの心と行動がなおと君に「心が痛い」と思わせたのです。しっかりと抱きしめ、「なおちゃんのこと誰よりも好き」とのメッセージを送っています。それを感じ取ったなおと君は「2度とうそは言いません」と決意しました。この親子の情愛が自尊感情を育みます。自尊感情とは、自分が好き、自分も大したもんだと思う気持ちのことです。自己肯定感とも言います。見えない学力として21世紀を生きぬく上で最も大切なものと言われています。私はこの自尊感情こそが人権尊重の核心だと思っています。
 少し自己紹介をします。先ほど、PTA会長さんから紹介がありましたように、「有紀」と書いて、「ありとし」と読みます。先日、定期検査で日赤へ行きました。検査結果説明の時、先生が「ありとしさんとお読みするのですか?すばらしい名前ですね」とおっしゃいました。父がつけてくれた名前です。父は生前、ことあるごとに「有紀、有紀という名前は、年を重ねるにつれ年相応の人間になれという思いを込めて付けたつぞ。年相応の人間にならにゃんぞ!」と言っていました。「有」は「保つ」という意味があります。「紀」は「年」の意味があります。このことから「有紀」とつけた名前です。皆さんもお子さん誕生の感動とお子さんがこんな子に育って欲しいとの期待や思いを込めて名前をつけられたと思います。その思いを、小さなお子さんだったら背に手を回し、膝の上に抱っこして、目を見つめて、誕生日や入学式、卒業式など人生の節目節目に語ってください。大きなお子さんだったら手を取り、目を見つめて語ってください。お子さんはきっと自分の名前に込められた親の思いを受け止め、これまで以上に自分の名前を好きになると思います。名前を好きになることは自分を好きになることです。これが先ほどから言っています自尊感情を醸成していきます。
 本題に入ります。本日の演題を「差別の木を切り、人権尊重の木を育てましょう」としました。私たちの心の中には、自分では気づいていないことが多いのですが、差別心があります。差別心があるから、その差別心を一つでも二つでも取り除くために人権学習をするのです。差別心がない人は、人権学習をする必要はありません。私は自分の差別心を一つでも二つでも取り除くために皆さんと一緒に人権問題を考えているのです。ですから、人権問題を学習するときは、遠い世界のこと、他人事ととらえるのではなく、我が事としてとらえ、建前ではなく本音で学習したいと思います。そういう思いから本日のテーマとしました。
 この差別の木の枝葉にはどんな人権問題、あるいは差別があるでしょうか?少し、考えてみてください。時間があれば、皆さんから出してもらいたいのですが、本日は時間も限られています。時間延長はできませんので私からいくつか例示します。
 例えば、「いじめ」があります。「仲間外し」があります。女性問題があります。高齢者問題があります。熊本県では、今すぐ解決しなければならない喫緊の人権課題として、「同和問題」、「ハンセン病問題」、「水俣病問題」を挙げて、教育・啓発に力を入れています。
 本日は、女性問題・高齢者問題・同和問題について考えてみたいと思います。
 私がある学校に勤務しているときのことです。12月は忘年会のシーズンですね。PTAの役員で忘年会をしたのです。その明くる日、あるお母さんが私に次のようなことを話されました。
 「昨日の忘年会、とても盛り上がって楽しかったので2次会、3次会まで行き、帰ったのは12時過ぎていました。結婚して始めて午前様でした。帰ったら連れ合いからも家族からも『おなごんくせ、こぎゃんおそ戻るとはなんか!』とひどく叱られました。連れ合いや家族は毎週のように午前様ですよ。これっておかしくはないですか?」と。
 皆さんはこの話を聞いてどう思われますか?皆さんは、この話のようなことを経験されたことありませんか?私は、皆さんに午前様を勧めているのではありませんよ。まだまだ、私たちのまわりには、「男だから」「女だから」の考えがありはしないでしょうか。
 グリム童話「木のお皿」を読んでみます。


                                   木のお皿

 昔、夫婦と老人と4歳になる子、4人が一緒に住んでいました。老人は年をとって食べものをこぼし、よごすようになりました。そこで夫婦は老人をテーブルではなく、ものかげで食べさせることにしました。老人は涙をため、ため息をつきましたが、何も言いませんでした。老人は、ますます年をとり、手が震えて不自由になりました。そして、ある日、陶器の食器を落としてこわしてしまいました。
 夫婦は、これからも壊されてはかなわないので、老人には粗末な木のお皿をあてがうことにしました。
 しばらくして、4歳の子が木片を刻んでいるのを夫婦が見つけました。
 「坊や、何をしているの?」
 「木でお皿をつくっているの」
 「そのお皿、何にするの?」
 「うん、ぼくが大きくなるころには、パパやママも年をとるだろう。そのころ、このお皿ができあがるから、これでごはんを食べさせてあげるの」
 夫婦はびっくりして、老人をもとどおりテーブルにつかせ、陶器の食器で食事をさせることにしました。
                                                             (グリム童話集より)


 どう思われましたか?
 この夫婦は、4歳の子の言動から自分たちの高齢者差別を自覚しました。そして、すぐにそのおかしさに気づき、改めました。この話は、私たちにもう一つ語りかけています。子どもたちは周りの大人の差別心を受け継ぎ、差別心が身についていくことを。子どもには差別の木を受け継がせないようにしたいと思います。
 この観点から「招かれなかったお誕生会」を読んでみてください。


   「招かれなかったお誕生会」   
                 江口いと

   孫は小学4年生     
   かわいい顔した女の子   
   仲良しA子ちゃんの誕生会
   小さな胸にあれこれと  
   選んで買ったプレゼント     
   早く来てねと友の呼ぶ    
   電話の声を待ちました

   夕陽が山に沈んでも    
   電話の声はありません   
   孫はぽつりと言いました
   きっと近所のお友達    
   おおぜい遊びに行ったので  
   お茶わん足りずにA子ちゃんは   
   困って呼んでくれないかも

   2、3日たった校庭で  
   A子ちゃん家での誕生会   
   楽しかったと友人に
   聞かされた孫はA子ちゃんに 
   どうして呼んでくれないの  
   私はとっても待ったのよ

   A子ちゃん   
   とても悲しい顔をして 
   私は誰より千恵ちゃんを  
   呼びたく呼びたく思ったの  
   けれども私の母ちゃんは  
   呼んではならぬと言ったのよ  
   それで呼べずにごめんねと  
   あやまる友のその顔を  
   見つめた孫の心には   
   どんな思いがあったでしょう

   私は孫に言いました   
   お誕生会に招かれず    
   さびしかっただろうねと
   孫はあのねおばあちゃん   
   A子ちゃんとても優しいの
   私の大事なお友達      
   A子ちゃん悪くはないのよ
   お母さんが悪いのよ     
   大人ってみんな我ままよ

   寂しく言った孫の瞳に   
   光る涙がありました 
   どんなするどい刃物より  
   私の胸を刺しました

 いかがでしたか?
 目頭を押さえている方もいらっしゃいますが、この詩は部落差別を題材とした詩です。作者の江口いとさんは、高知県の被差別部落に生まれた方です。
 私にも孫娘がいます。孫がこのような目に遭ったらと思うと胸が張り裂けそうです。
 皆さん、「孫は」というところを皆さんのお子さんの名前に置き換えてもう一度読んでみてください。
 同和問題とは、どこで生まれ育ったかということだけで差別される日本でもっとも深刻にして重大な人権問題です。被差別部落の人は日本人です。同じ日本人でありながら、生まれ育ったところで差別する、されるという人権問題です。それも結婚や就職という人生でもっとも大事なことで差別が起きているのです。このような差別は昔のことのように思う方がいらっしゃるかも知れませんが、熊日新聞の記事を見てください。この記事は、昨年3月のものです。


                       差別根強い熊本 今も変わらず残念

 私は四国の出身で、熊本に来て40年以上になりますが、同和問題やハンセン病問題など根強い差別体質が気になります。
 実は小学4年生の孫娘が先日、同級生から「あそこから先は同和地区だから行かない方がいい。付き合わない方がいい」と言われたというんです。熊本に来たころも差別が多いのに驚かされましたが、あまり変わっていないようです。いまだにハンセン病のことを何かと言う人もいますしね。
 私が育った県にもハンセン病療養所がありましたが、中学生のころにはもうそんな差別の話は聞きませんでした。私は菊池恵楓園に出入りして菊の育て方を習ったりもしました。 少しずつでもいい方向にいってほしいと思います。
                                               (25年3月29日熊日夕刊 電話で話そう)

 学校では人権教育が行われています。社会教育の分野でも人権啓発が行われています。本日の研修会もその一つです。このように人権教育・啓発が行われているにもかかわらず差別がなくならないのはなぜだと思いますか?考えてみてください。
 私たちの心の中には、自分でも気づかない偏見や固定観念、あるいは世間体、何の根拠も無い迷信を信じるなどがありはしないでしょうか。その他、優越感、ねたみ、価値観の違い、違うものを排除しようとする心、あるいはっぷんばらし、忌避意識があると思います。これらは、共生感の欠如から起きている問題だと思います。
 学校では、いじめ問題があります。いじめている子を観察すると、毎日の生活の中でストレスが鬱積していて、それを発散するためにいじめにはしることがあると言われます。
 今日、本校に来るとき小坂の田んぼにたくさんのカラスが舞い降りていました。皆さんはカラスについてプラスイメージをお持ちですか?マイナスイメージをお持ちですか?プラスイメージをお持ちの方はいらっしゃらないようですね。私は小さい頃、田んぼにカラスがいると「今日は縁起が良くなかバイ」などと友と話し合っていました。これは、黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、子ども心にもカラスは不吉と思っていたからです。童謡作家の野口雨情は、カラスは“不吉な鳥”として嫌われてきたおかしさを、子煩悩な親鳥の呼び声としてカラスの鳴き声を表現した「七つの子」で世の中に訴えています。
 このような自分の心の中にある偏見とか固定観念、差別心が差別の木を大きくしているのだと思います。
 この差別の木を切り倒すには、よく切れるのこぎりが必要ですね。のこぎりで差別の木を切り倒し、人権尊重の木を育てて行くにはどのようなことが大切でしょうか。
 いろいろあると思いますが、私は「そうかな?」と立ち止まって考えてみることが大事だと思います。昔から言われているからとか、みんなが言うからなどでそのまま思い込まないで、「そうかな?」と自分で考えてみることです。そのためには、正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断、行動することが大切です。
 無知は偏見を生み、偏見は差別心を生むと言われています。同和問題も、ハンセン病問題も、水俣病問題も正しく理解していないことから起きた差別です。同じ日本人でありながら、生まれ育った場所がどこであるかで差別されるなんてあってはならないことです。ハンセン病問題も、うつる病気、怖い病気と誤った理解違いをして差別があったのです。昭和29年、「黒髪小学校入学拒否事件」が起こりました。菊地恵楓園に入所している人の子どもが、黒髪小学校に入学することにPTAの間から反対の声があがり、入学を拒否したのです。保護者は、ハンセン病患者を親に持つ子どもと我が子が机を並べて勉強するなら我が子はハンセン病に感染する、そんなことは決してさせてはならないと入学を拒否したのです。ハンセン病はライ菌により感染する感染症です。このライ菌はきわめて感染力が弱い菌で、現在の食生活による栄養状態では先ず感染することはないと言われています。また、濃密なスキンシップがなければ感染することはないのです。これらを知らなかったから、怖い病気、うつる病気の考えをそのまま受け入れて差別事件を起こしたのです。ですから、正しく学び、正しく理解することが大切なのです。
 もう一つは、日頃から人権感覚を磨くことだと思います。人権感覚の根底には豊かな感性があります。「うわー、きれい」とか「よかったあー」などと心を揺り動かす感性です。以前の七滝小学校は周りが竹林に覆われていました。その竹林の向こうに真っ赤な夕日が沈むのです。「校長先生、七滝小学校の夕日は日本一です。夕日を見に行きましょう。」と、子どもたちが私を運動場に誘っていました。それはきれいでした。「うわー、きれい」と子どもたちと一緒に夕日を堪能しました。この感動が感性を育みます。そして人権感覚を育んでいきます。
 人権感覚とは、具体的な場面に遭遇したとき、とっさに迷うことなく人間として当然あるべきあり方を行動として示すことのできる感性のことです。そうせずにはいられないごく自然に湧き上がってくる感性の行動化です。
 このことを岐阜県で人権啓発活動をしておられる桑原律さんが「人権感覚って何ですか」という詩に表しておられます。一緒に読んでみましょう。


   人権感覚」って何ですか     
                  桑原 律

  「人権感覚」って何ですか
  それはケガをして
  苦しんでいる人があれば
  そのまますどおりしないで
  「だいじょうぶですか」と
  助け励ます心のこと

  「人権感覚」って何ですか
  それは悲しみに
  うち沈んでいる人があれば
  見て見ぬふりをしないで
  「いっしょに考えましょう」と
  共に語らう心のこと

  「人権感覚」って何ですか
  それは偏見と差別に
  思い悩んでいる人があれば
  わが事のように感じて
  「そんなことは許せない」と
  自ら進んで行動すること

  「人権感覚」って何ですか
  それはすどおりしない心
  見て見ぬふりをしない心
  他者の苦悩をわが苦悩として
  人権尊重のために行動する心のこと


 人権感覚をわかりやすく表現してありますね。
 先ほど、人権感覚とは、人権問題に遭遇したときとっさにあるべき行動をとると言いました。
 次の「一度きりのお子様ランチ」を読んでください。


                     一度きりのお子様ランチ

 ある日、若い夫婦が二人でレストランに入りました。
 店員はその夫婦を二人がけのテーブルに案内し、メニューを渡しました。
 「Aセット一つと、Bセット一つ。」
 店員が注文を聞きその場を離れようとしたその時、夫婦はしばし顔を見合わせ、「それとお子様ランチを一つ頂けますか?」と言いました。
 店員は驚きました。なぜなら、そのレストランの規則で、お子様ランチを提供できるのは小学生までと決まっているからです。
 店員は、「お客様、誠に申し訳ございませんが、お子様ランチは小学生のお子様までと決まっておりますので、ご注文はいただけないのですが...」と丁重に断りました。
 すると、その夫婦はとても悲しそうな顔をしたので、店員は事情を聞いてみました。
 「実は…」と女性が話し始めました。
 「今日は、天国へ旅立った私たちの娘の誕生日なんです。私の体が弱かったせいで、娘は最初の誕生日を迎えることも出来ませんでした。娘が私のおなかの中にいる時に『三人でこのレストランでお子様ランチを食べようね』って話していたんですが、それも果たせませんでした。子どもを亡くしてから、しばらくは何もする気力もなく、最近やっと落ち着いて、亡き娘にここの遊園地を見せて、三人で食事をしようと思ったものですから…」
 店員は話を聞き終えた後、少し何かを考えていた様子でしたが「かしこまりました。」と答えました。
 そして、その夫婦を二人掛けのテーブルから、四人掛けの広いテーブルに案内しました。さらに、「お子様はこちらに」と、夫婦の間に子ども用のイスを用意しました。
 しばらくして、「お客様、大変お待たせいたしました。ご注文のお子様ランチをお持ちいたしました。では、ゆっくりと食事をお楽しみください。」
 店員は笑顔でそう言ってその場を去りました。

 この夫婦から後日届いた感謝の手紙にはこう書かれていました。
 「お子様ランチを食べながら、涙が止まりませんでした。まるで娘が生きているように、家族の団らんを味わいました。こんな体験をさせて頂くとは、夢にも思っていませんでした。もう、涙を拭いて、生きていきます。また来年も再来年も、娘を連れてこの遊園地に来ます。そしてきっと、この子の妹か弟かを連れて行きます。」

 いかがですか?
 この話は、東京ディズニーランド内のレストランで実際にあった話です。
 店員は、夫婦の話を聞いてとっさに店の規則を超えた対応をしました。規則では受け付けないお子様ランチを受け入れたばかりでなく、2人掛けのテーブルから4人掛けのテーブルに案内し直し、子ども用のイスまで用意しています。そして「ゆっくりと食事をお楽しみください」と対応しました。この対応が夫婦にどのような思いを抱かせたかは、夫婦から届いた感謝の手紙に全てが表れていますね。この若夫婦に生きる力を与えたのです。
 12月4日から10日までの1週間は、第66回人権週間でした。今回のテーマは、「みんなで築こう 人権の世紀 〜考えよう 相手の気持ち 育てよう思いやりの心〜」です。
 このテーマ「思いやりの心」を持ちましょうと、中国の孔子が唱えているのです。


   論語 衛靈公第十五412
      子貢問うて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
      子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。


 現代語訳は、だいたい次のようなものです。
 子貢が孔子様に聞きました。
 先生の教えいただく一語を生涯守り通せば、人としての道を過たずに生き通せる言葉がありますか?お教えください。
 孔子が答えました。
 その字は恕です。恕とは優しさ、思いやりです。そして、自分がして欲しくないことは他人にもしないことです。
 いかがですか?
 私たちは「恕の心」をもって、人権尊重の木を育て、みんなが互いを認め、共生できる社会を目指していきましょう。
ご静聴ありがとうございました。